日本に横たわる「構造の壁」を考える(2)

 前回は、日本の停滞の背景にある「構造の壁」について、その輪郭を見てきました。人口や産業の変化といった“表に現れた現象”の背後には、社会の深いところに沈殿した“前提”があり、それが供給力を弱めているという話でした。では、この壁はどのようにして形成されてきたのでしょうか。今回は、その歴史的・制度的な背景をたどっていきたいと思います。

 日本の制度や仕組みの多くは、高度経済成長期に形づくられました。人口が増え、都市に人が集まり、企業が拡大し、地域も産業も右肩上がりで成長していた時代です。この時期に整えられた制度は、「増える社会」に最適化された前提の上に設計されていました。行政は地域の成長を前提に動き、企業は長期雇用を前提に人材を抱え、社会は安定を重んじる価値観を共有していました。

 そして何より、この時代には「努力すれば報われる」という確かな実感がありました。経済全体が成長していたため、個人の努力が成果につながりやすく、企業も地域も拡大を続けていました。努力が成果に結びつく社会では、制度や仕組みを大きく変える必要はありません。むしろ、既存の前提を維持することが合理的であり、成長を支える力にもなっていたのです。

 しかし、社会の前提が変わり始めたのは1970年代後半からです。出生率の低下が続き、人口の伸びが鈍化し、地域間の格差が徐々に広がり始めました。1990年代に入ると、人口減少の兆しはより明確になり、産業構造も大きく変化し始めました。それにもかかわらず、制度の時間軸は大きく動きませんでした。行政も企業も社会も、かつての前提のまま動き続けたのです。

 この「時間軸のズレ」こそが、構造の壁の出発点になりました。人口が増えることを前提とした制度は、人口が減る社会では機能しません。地域が自立して成長することを前提とした行政の仕組みは、人口が流出し続ける地域では負担だけが残ります。

 雇用についても同じことが起きました。高度成長期には、企業が長期雇用を前提に人材を抱えることは合理的でした。しかし現在では、終身雇用という制度そのものは薄れつつあります。それでも、長期雇用を前提とした価値観や慣行は社会に残り続け、人材の流動化を妨げています。制度が変わっても前提が変わらなかったことで、人が動きにくい状況が続き、結果として硬直性が生まれています。

 こうしたズレは、誰かが意図的に作ったものではありません。むしろ、社会全体が「かつての前提」を自然に引きずり続けた結果です。制度を変えるには時間がかかり、合意形成も容易ではありません。企業は既存の仕組みを維持する方が短期的には合理的に見えます。行政も、地域の実情に合わせて制度を作り替えるには大きな負担が伴います。社会の価値観も、一度形成されると簡単には変わりません。こうして、変化を先送りする力が積み重なり、壁は少しずつ厚みを増していきました。

 さらに、この壁を強固にしたのが「失敗を許容しにくい空気」です。高度成長期には、努力が成果につながりやすい環境があり、社会全体が成長を前提に動いていました。しかし、成長が鈍化し、社会が安定を重んじるようになると、失敗は避けるべきものとして扱われるようになりました。制度や規制も既存の産業を前提に設計されているため、新しい分野が生まれにくい状況が続きました。こうした環境が重なり、社会全体の動きが徐々に鈍くなっていったのです。

 このように、構造の壁は一つの要因から生まれたものではありません。人口、産業、雇用、行政、価値観、政治の時間軸が少しずつズレ、そのズレが長い時間をかけて積み重なった結果です。そして、この壁は誰か一人の責任ではなく、社会全体の慣性の中で形成されてきたものです。だからこそ、簡単には動きません。しかし、見えないからといって放置すれば、供給力はさらに弱まり、未来は閉じていきます。

 次回は、この壁が現在の産業や地域にどのような影響を与えているのかを見ていきたいと思います。