供給力をどう捉えるかを考える(1)

 日本が「貧しい国になってしまった」と感じるようになった背景には、景気や為替の変動だけでは説明できない、もっと深い構造の変化があります。前回のコラムでは、その変化の背景にある「供給力」という視点について触れました。今回は、この供給力という概念を、いま一度どのように捉えるべきかを一緒に考えてみたいと思います。

 まず、私が考える「供給力」とは何かを整理しておきたいと思います。一般的には「モノやサービスを生み出す力」と解釈されますが、私はこれをもう少し広く捉えています。供給力とは、国が必要とするモノやサービスを自ら生み出す力を中心にしつつ、国際的な調達力も含めた、国の暮らしと産業を支える総合的な基盤のことです。国内で食料をつくる農業、製品をつくる製造業、社会をつなぐ物流業、地域を支える人材、技術を生み出す教育や研究など、これらはすべて供給力の一部であり、どれか一つが欠けても社会は安定して機能しません。

 一方で、現代の経済は国際的な分業の上に成り立っています。エネルギーや原材料の多くは海外から調達し、国内で付加価値を生み出しながら世界とつながっています。国際的なサプライチェーンの中で、通貨の強さや国際競争力も供給力の一部として働いています。つまり供給力とは、国内の生産基盤を軸にしながら、国際的な調達力や通貨の信認といった外部の要素も含めた、国の総合力そのものなのです。

 ただし、ここで押さえておくべきなのは、国際的な供給力はあくまで国内の供給力が健全であることを前提に成立しているという点です。国内で生み出す力が弱れば、必要なモノを海外から調達せざるを得なくなります。輸入が増えるということは、外国の通貨を買うために円を売る量が増えるということです。円を売る力が強まれば円の価値は下がり、国際調達力も弱まっていきます。外側の力は内側の力の派生物であり、代替物ではありません。だからこそ、供給力を考えるときには、まず国内の生産基盤に目を向ける必要があります。

 では、供給力を構成する国内の要素とは何でしょうか。第一に、食料を生み出す農業があります。農業は、国が自らの暮らしを支えるための最も基本的な生産基盤です。第二に、製造業です。原材料を加工し、付加価値を生み出す力は、国内の産業構造を支える柱となってきました。第三に、物流業です。生産されたモノを社会に届ける仕組みがなければ、どれほどつくっても生活は成り立ちません。第四に、地域社会です。人が暮らし、働き、次の世代が育つ場が維持されなければ、産業も人材も持続しません。そして第五に、技術と教育です。新しい価値を生み出し、社会を前に進める力は、ここから生まれます。

 これらは一見するとバラバラの領域に見えますが、実際には密接に結びついています。農業が弱れば食料の自給力が下がり、製造業が弱れば輸出力が落ち、物流業が弱れば社会全体が止まり、地域が弱れば人材が育たず、技術が弱れば未来が閉じていきます。どれか一つが欠けても、国全体の供給力は揺らぎます。供給力とは、こうした複数の要素が重なり合って成立する、国の生活の土台なのです。

 そして、この供給力は一夜にして崩れるものではありません。静かに、しかし確実に弱っていきます。農業の担い手が減り、製造業の就業者が減り、地域から若者がいなくなり、物流業が限界に近づく。こうした変化は、日常生活の表面には見えにくいものの、国の根っこをじわじわと蝕んでいきます。だからこそ、供給力という視点を持つことが欠かせません。

 次回は、この供給力がどのように弱ってきたのかを、統計と現場の変化から具体的に見ていきたいと思います。供給力の低下は、感覚ではなく事実として進んでいます。その姿を丁寧に追いながら、日本がいまどこに立っているのかを確認していきます。